詭弁論理学を読んだ
- 作者: 野崎昭弘
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1976/01
- メディア: 新書
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ぼくはよく反省をする。反省と言っても「反省しろ!」といわれてシュンとするということではなく、辞書的な意味の振り返って考えるという意味で。先月末に退職した会社での会話とか出来事を退職の節目ということもあって色々考えていて、ことごとく多勢の詭弁で押し通されていたことに気づいて、もうすこし詭弁にうまく対処できるようになれればなあと考えていた。そんなとき、ブックオフで見つけたのが詭弁論理学だった。
笑い話と詭弁・強弁
この本には色々な詭弁・強弁のエピソードや例文が載っているが、笑い話になるものも多い。
【例1】お酒を飲むと、酔う。ビールを飲んでも、ウォツカを飲んでも酔う。ところで、お酒にも、ビールにも、ウォツカにも、水が入っている。ゆえに、水が酔っぱらう原因である。
【例2】「石森は酒を飲まないらしいね。あいつが酒を飲んでるところを見たことがないもの」「そういえば、おれはラムちゃんがトイレに行くのを見たことがないぜ。あの子はトイレに行かないんだな」
詭弁論理学 84p
この例は、大真面目に主張されたら詭弁だが、ジョークとして言うなら笑い話になる。そういう意味で、詭弁も笑いのテクニックの一つなんだなと思った。ほかにも、
ジェームズ一世の『欽定訳聖書』については、こんな話がある。
「詩篇第四十六篇を英訳したのは、シェークスピアに相違ない。なぜなら、この詩のはじめから四十六番めの単語はシェーク(shake)で、終わりから四十六番めの単語はスピア(spear)である」
(中略)
なお『欽定訳聖書』が完成した一六一〇年、シェークスピアは四十六歳だったという。
詭弁論理学 74p
という話が載っており、これは思わず(理論破綻しているのはわかっていても)「おおっ!」と思ってしまう。DHMOやパンは危険な食べ物のような間違っているんだけど、間違ってないタイプのジョークというのは詭弁だけれども面白い。
過去のアレはどう詭弁だったのか
もちろん、笑い話のテクニックを磨くためにこの本を読んだ訳ではないので、この本を活かして過去の反省を改めてしてみる。
愛の飴と鞭の話
曰く「彼にとっては私の対応は厳しいムチでしょうが、私の思いとしてはアメを与えているのです。(ゆえに私の行動は正しい)」と言われた事がある。あまりにハチャメチャな理屈なので、「当人がムチと思うんなら、そりゃ当人にとってはムチでしょう」と間髪入れずにツッコミいれて笑い話になったのだが、今改めて考えればこれは不当肯定の虚偽だろう。
しかしこの虚偽はあまりにも見えすいていて、詭弁術には使えそうもない。
詭弁論理学 92p
と評されているが、勢いに任せて言われたらスルッと通してしまう人もいるんじゃなかろうかと思う。
ある人が望むかもしれないし、ある人は望まないかもしれない、だからなんだという話
NDAは関係ないが話をぼかして書くと「Xを提供されることは重要であるという人がいる。Xを提供するためにはYを用意する必要がある。ゆえに、ある人のためにYを用意しておく必要がある。」という主張をしたところ、「(反論1)ある人にとってXは重要でないかもしれない」「(反論2)Xが提供されることによって得られる影響αがなくなるかもしれない」という反論をされた。これについては、多勢に無勢の詭弁で押し通されてしまった。改めて考えれば(反論2)は
Xを提供されることによって得られる影響αがなくなったためXを提供されることは重要であると思う人はいなくなる。
Xを提供するためにはYを用意する必要がある。
ゆえに、ある人のためにXを提供するためにYを用意しておく必要はない。
となるのだが、これは理屈が間違っているので詭弁である。一段目が部分より全体に及ぼす誤りであって影響βが重要であると思う人の存在を無視している。
問題は(反論1)で
ある人にとってXは重要でない。
Xを提供するためにはYを用意する必要がある。
ゆえに、ある人のためにXを提供するためにYを用意しておく必要はない。
と筋の通った三段論法で別に間違っていない。でも、これは詭弁である。おそらく、私の主張の仕方が悪かったのだろうが、私の主張は本来こうであった。
ある集団AのうちaにとってXは重要である。
ある集団Bのすべての人にとって、Xを提供するためにはYを用意する必要がある。
ゆえに、集団Bの人が集団Aの人に対応するときaの人の可能性を考えてYを用意しておく必要がある。
こう記述すれば(反論1)は反論になっていないことがよくわかる集団Aの構成員a1が重要でないとしても重要とする構成員aがいる限り私の主張は間違っていない。
この話の教訓としては「ある人」という言葉によって揚げ足取りを食らったということで、別の意味に解釈されないように注意する必要があるということか。
Mac作ってる会社はアップル、アップルはリンゴ、つまりMac作ってる会社はかじって食えるってことさ
「うちのは開発スタイルはアジャイルじゃないですよ。」「なにいってんだ。アジャイルってのは素早いって意味だ。素早く要件を取り入れ、素早く修正しているんだから、うちはアジャイルだ」というやりとりがあった。これは、媒概念曖昧の虚偽というやつだ。agileという英単語は確かに素早いとか敏捷とかいう意味だが、アジャイル開発のアジャイルとは関係のない話だ。ただ、これに関しては、アジャイルでないと説得できる自信が未だにない。「テスト自動化とかでコード保全につとめないとアジャイルなんてできませんよ。」といっても「ツールの導入は各PMに任せる話だ(だからアジャイルとは関係ない)。」となってしまったりして、お手上げだった。
そうかといって、ムダに時間を費やすことはない。相手が強弁・詭弁を弄してきたら、もはや正しい議論は望めないので、惜しまず議論を打ち切ればよい。
詭弁論理学 122p
とあるように、この件についてはとっとと議論を投げ出すのが正解なのだろうなぁ。